| 掲載日:2008年04月23日 |
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| すいとんは高級料理の完全食品でい! | ||||||||||||||||
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| さーて、前回は「はも鍋」と贅沢をしたもんだが、今回はぐっと質素に「すいとん」と行ってみよう(もっとも昨今は小麦粉などの高騰で、すいとんが高級料理にならないとも言えないけどな〜)。 なに、ゲンさん。すいとんなんていうと戦時中の食べ物のない時代を思い出すんじゃないかって? バカヤロー! まったく、近頃の若い連中ときたら、ちょっと自分たちより年上を、みんな戦前生まれにしやがるが、こう見えてもあっしは戦争体験のない世代だよ。 まあ、そうは言っても戦後すぐの時代ってえのは、まだ日本も貧しかったもんで、あっしも水っぽいすいとんを食べた記憶がちょっとだけある。だが昭和ヒトケタの人たちが言うように、「すいとん」というと、顔をしかめて嫌がるほど不味かったかどうかは記憶にないな・・。 食べ物ってやつは、何かイヤな思い出があったりすると、それがトラウマになって口にしなくなる傾向があるもんだから、それも致し方なしだがね。 しかし、本来すいとんはレシピさえ工夫すれば十分美味しく食べられ、しかも一皿ですべての栄養素が網羅される完全食品だ。 ともかくも、ここはひとつ飽食の時代の健康食として、すいとんのレシピを試してみては如何どうだろう。 |
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| 鍋もののルーツはすいとんにあり? | ||||||||||||||||
戦中派には不人気のすいとんだが、実はこの料理――すでに室町時代には民衆の間で食されていた記述のある歴史ある食べ物だ。まあ、前述のレシピを見ればわかるように、すいとんは小麦粉を水と少量の塩で練ったシンプルな食材だ。小麦を粉にする技術さえあれば、誰でも考えるようなものさね。遠くチベットにも「スキュー」と呼ばれる、すいとんに似たような小麦食があるそうで――スキューは古い時代に中国から伝わったものとされるだけでなく、日本の小麦食のルーツにもなっている可能性があるとのこと。まあ、餃子の化石が出土した中国が小麦食品の源流になったというのは、ごく自然の成り行きと考えられるだろう。 ところで、あっしの考えを言わせてもらうと、すいとんからは鍋料理のルーツを見出すことができると思っている。 文献上から見ると、鍋料理が現在のように大勢で箸をつける形式になったのは、明治維新以降のこと。身分制度のハッキリしていた江戸時代、鍋料理は現在のような囲炉裏を囲んで食べる形式ではなく、お1人さまで各々1人前の鍋を食べていた。それがスキヤキや牛鍋の登場により、大勢でひとつの鍋を囲んで食べる現在の形になったというワケさ。 それじゃあ、江戸の前に鍋料理がまったくなかったのかというと、それがそうでもない。 室町時代から戦国時代にかけて書かれた料理書、「四条流包丁書」※1や「包丁聞書」には、鍋物の記述は見当たらないものの、「汁」と「吸い物」に関しては現在より豊富なメニューを見ることができるのさ。 |
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この時代、汁と吸い物は明確に区別されていた。「汁」は具だくさんなご飯の”おかず”であり、「吸い物」は淡泊なお酒のお供だったのさ。俗にケモノ汁とされる「たぬき汁」や「うさぎ汁」をはじめ、魚介類の汁など、バラエティに富んだ汁ものが国民食として、この時代食べられていた。あの「太平記」にも後村上天皇がたぬき汁を賞味したとの記述があるほどで、この時代、あらゆる階級で食されていたんだろうな。 そんな中、我らが「すいとん」は、ご飯いらず。一皿の中にすべての滋養が込められた、この時代の完全食品として人気だったに違いない。 簡単に作れる料理だっただけに、戦時中に貧弱なレシピによって、良くないイメージを植え付けられたのはすいとんにとっては不幸なことだったというわけさ。 |
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| タンパク質タップリの小麦は如何 | ||||||||||||||||
さーて、ご好評いただいた『冬将軍にゃあ、「ナベ奉行」のあったか裁きが一番でぃ!』のSeason2は、いちおう今回で一区切り。もっとも水炊きやフグ鍋、スッポン鍋など、まだまだ取り上げていないものも多いので、いずれSeason3に突入したいところだね。 |
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