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水産物 医食同源
ヒヤッとビヤっとビールだぜ! 14
掲載日:2007年11月29日
 

アイコン まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
 先日は東京のミシュラン格付けの発表があって、大変な話題になっているなあ。今回は、東京の飲食店150店が計191個の星を獲得! パリの97個、ニューヨークの54個を大きく上回り、世界中の美食家が度肝を抜いたそうさね。長年、東京の飲食店に食材を提供しているあっしイダテンのゲンさんに言わせりゃ、当たり前のコンコンチキ・・・と言いたいところだが、いや、本当に嬉しい話だね〜。
 近頃は、食品偽装問題をはじめ、サブプライムローン問題や原油価格の高騰など、ロクでもないニュースばかり取り沙汰されているだろう。そんな中、ミシュラン格付けのニュースはあっし自身が表彰されたような(そんなワケじゃねえけど)、ひとつの清涼剤のようなニュースさね。まあ、ミシュランに格付けされたところは、お値段もそれなりのところが多く、人によってここは違うだの、ヘチロクだの蜂のアタマだの言う声もあるが、ここは素直に良かったと思っている。
 ともかく東京ってえ街は世界中から最高のお値段と、最高の品質を誇る食材が入ってくるだけじゃない。それなりのお値段で、極めて良質な食材もたくさん入ってくるんだ。そんな中、食材仕入ドットコムさんとあっしが組んで仕入れた食材は、そんな良質のコストパフォーマンスを誇る品が目白押しだ。
 年末競争も間近な今、どうぞ、みなさま! ご注文のほど、よろしくお願いしやすよ!

   
 

オイディプス王はビールがお嫌い?

   ご好評いただいた「ヒヤッとビアっとビールだぜ!」のシリーズも今回で終了。
 今回はひとつ原点に戻り、エジプト&メソポタミアで産声を上げたビールが、なぜドイツやチェコのような北ヨーロッパで発達したのか、再び歴史を繙いてみることにしよう。
 ビールの本場の地域を見ていくと、イギリスやアイルランドを筆頭に、ドイツやベルギー、チェコなど、昔は貧しくロクな食い物が育たなかったところが多い。もともとは暑い地域で生まれたビールが、寒冷な痩せた土地で発達したってえのが面白いところだが、ちょっくらそのあたりのことを探ってみよう。
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 ヨーロッパの中で美食の国とされるイタリアやフランスは、何といってもワインが中心に料理が組み立てられており、ビールは二の次(イタリアなんぞはピッツァという、ビールと相性バツグンの食べ物があるのにねえ)。両国とも、昔よりはビールの消費量が増えたとはいい、北ヨーロッパの消費量には比べるべくもない。
 エジプト&メソポタミアで生まれたビールだったが、イタリアやギリシャのような風土では、大麦よりもブドウの成育に向いていたんだな。あの”オイディプス王”で有名なギリシャの大詩人であり劇作家のソポクレスも、「ビールなどあまり飲みたいと思わんわ」と仰ってるくらいだから、旨いもんではなかったろうし、実際に下司な飲み物だったんだろう。
 ローマ帝国の時代――その頃からローマ人はワインを愛飲し、ビールというのは北方の蛮族が飲む下品な酒というイメージがあったようだ。もっとも、当時のワインはハチミツや果実ジュースで割って飲むなど、今のものとは随分違った味だったみたいだがね。それにしても、罪人を切り刻んでアナゴのエサにしていた、古代ローマの連中に”蛮族”と言われたくないもんだが・・・当時のゲルマン民族というのは、そんな立場だったんだろう。
 いつの間にかビールは南欧を通過して、北ヨーロッパに居座るようになったって寸法よ。

 

カール大帝もビールがお好き

   ビールが北ヨーロッパに本格的に根づいたのは、8世紀あたりからの話だ。スイスのサンクス・ガレント修道院で欧州最初の本格的ビール工場が作られたのは、以前にもお話しした通りさね。
 丁度その頃、ヨーロッパ西北部を支配していたフランク帝国は、カール大帝の時代に絶頂期を迎えた。カール大帝はビールが大好物で、即位した頃からカソリック教会を助けて、修道院のビール作りを奨励したそうだ。
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   フランス料理がルイ14世の美食で発展し、中華料理が西太后の満漢全席で完成したように、時の権力者が美食家だったりすると、食は大きく発展するんだが――カール大帝の場合はビールがそれだったわけさね。
 フランク帝国ってえのは、現在のフランスからイタリア北部、ベルギー、オランダ、ドイツ、スロベニアと、北部ヨーロッパに築かれた、ゲルマン民族による大帝国だ。5世紀に西ローマ帝国が滅亡したのも、このフランク帝国の台頭があったというから、この頃からゲルマン民族も、自分たちの自信と誇りが本物になってきたのだろう。
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 そんな絶頂期、ギリシャ・ローマでは下賎な飲み物とされていたビールを、大帝はこよなく愛し、戦に勝てば大きな杯で酔いつぶれるまで飲んだ。こうしてビールは下賎な飲み物から、皇帝の飲み物へと大きく格上げされたってワケさね。
 余談ながら、食い物や飲み物ってえのは、もっとも侮蔑の対象になり易いものだが、いったん、その民族が優位に立ったり、あるいは食べ物そのものが旨いとわかると、翻るのも早い。
 20年、いや10年ほど前でも、欧州や米国の田舎を旅すると「日本人は生魚を食うのか?」と、からかい半分に聞かれたもんだ。あっしは”おめーら味覚オンチに言われたくねーや”と思ったもんだが、それが、世界中で日本文化が認められ、寿司が旨いもんだとわかると、今やあのミシュランも最高の評価をするようになったんだから、いやはや時代は変わるもんさね。

 

液体のパン、ビールを飲もう!

   すでに12世紀を過ぎた頃、ビールはすっかりヨーロッパの北半分に定着した。皇帝の庇護を受けて醸造をはじめた修道院にとって、巡礼者たちにビールを施すのはもちろんだが、それだけでなく重要な資金源だったのは言うまでもない。
 日本でも昔から坊さんってえのは、学者や医者なども兼ねたインテリさんだったわけだが、西洋でも事情は同じで、修道士は今で言うバイオ・テクノロジーの先端技術者だった。連中は古文書にある製法をもとに試行錯誤を重ね、一般に出回るビールとは格の違うものを作り上げ、そいつらは高値で取引されていったんだな。
 現在でもトラピスト・ビールやアビー・ビールと呼ばれるものは、実際に修道院で作られているものか、あるいは同じ製法で作られているビールだ。
 参考までに申し上げると、トラピスト・ビールというのは、トラピスト会修道院で作られたビールの総称。現在はシメイ、オルヴァル、ロシュホール、ウェストマール、ウェストフェルテレン、アヘルといった6ブランドのみが、トラピスト・ビールを名乗ることを許されている。
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   アビー・ビールというのは、”abbey”の文字通り修道院で作られていたビールだが、それらの製法をもとに別の醸造所で作られたものだ。ベネディクト修道院で作られていたマレッツなんていうブランドがあるけど、これらをいただくと、昔の人が意外なほど旨いビールを楽しんでいたのがよくわかる。
 ところでお断りしておくが、トラピストとかアビーってえのは、あくまで修道院で作られていたという区分けで、ピルスナーとかボック、ペールエールといった、ビールのスタイルによるものではない。トラピストやアビービールには、色んなスタイルのものがあるので、そのあたりはお間違えなく。
 ともかくビールってえのは、麦芽糖などの炭水化物はもちろん、ビタミンB1、B2をはじめ、グルタミン酸やグリコールなどを多く含んだ、栄養価の高い飲み物だ。”液体のパン”と呼ばれたビールは、断食中の修道士が活力源に飲んだというが、それも修道院で盛んに醸造が行われた一因でもあるそうだ。
 あっしもキリスト教もイスラムみたいに断食をするとは知らなかったが、空きっ腹にあちらの強いビールの飲んだら、さぞ効いたことだろう。
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 さーて、時間が来やがった。
 次回からは昨年に引き続き、「冬将軍にゃあ、「ナベ奉行」のあったか裁きが一番でぃ!」のシーズン2がはじまるよ! 丁度、寒さも程よくやってきたこの頃――前回、ご紹介できなかったお鍋さんが目白押しだ。
 どうぞ、楽しみにしてやっておくんなせえ。

 
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