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水産物 医食同源
冬将軍にゃあ、「ナベ奉行」のあったか裁きが一番でぃ! 9
掲載日:2007年03月28日
 
 きりたんぽアイコンまいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
 歴史的暖冬だった2月を過ぎ、3月は東京で観測史上もっとも遅い初雪があったりと、いやはや何とも妙な陽気が続いたよな〜。この陽気で鍋の具材は好調になってきたものの、一方でまるっきり花見の時期が読めないのには困ったもんさね。
 旅行会社も、どこの桜がいつ咲くのか見当がつかないもんで、中には覆面ツアーとして、当日咲いてる桜の地域に飛んでいく・・・なんて苦肉の策を立てた旅行会社もあるそうだ。 
 ツアー会社に旅館業のみなさま、苦労はお察し申し上げやすぜ。
 とはいえ、やはり熱さ寒さも彼岸まで。しぶとかった3月の寒気もようやくこの頃緩んできたようだ。あっしの予想じゃあ、待ちかまえていた桜どもが堰を切ったように、これから一斉に咲きはじめるんじゃないか、なんて読んでいるところさね。みなさんの予想は如何なもんかな?
 花見が過ぎれば、次はすぐにゴールデンウィーク商戦。お客さんがたも、どうぞこのかき入れ時を逃さずに、うんと稼いでおくんなよ。注文のほど、お待ち申し上げやすぜ〜!
   
  ”きりたんぽ”の正体は”焼きおにぎり”?
 

 さて、今回は秋田の郷土料理として人気なだけでなく、近年は全国区に広がりつつある鍋料理、「きりたんぽ鍋」をご紹介しよう。ご存知のようにきりたんぽは、ご飯を潰して串に巻き、竹輪状にしたものを炉端の灰に立てて焼いたものだ。
 焼いたきりたんぽを鍋に入れ、比内地鶏や野菜類と一緒に煮込むのが一般的なスタイルだが、必ずしも鍋にしなきゃいけないわけじゃない。もとはご飯だから、味噌を付けて「たんぽ田楽」にするといった具合に、食べ方は融通無碍だ。

  やきおにぎり風きりたんぽ うちのババアなんぞは、撮影用のきりたんぽを作りながら、
「何よ、これ。焼きおにぎりじゃないの」
 なーんてぬかしやがったが、たしかにその通り。
 きりたんぽの形は竹輪状だが、作り方そのものは焼きおにぎりみたいなモンだ。もっとも、うちのヤツは串に巻くのは難しいから、『小判型のきりたんぽで堪忍して頂戴』と無精を決め込んでやがったけどな〜。
 ところでレシピを見ての通り、きりたんぽってえのはお米を潰してまとめるため、餅の一種と間違えてるご仁も多いと思うが、お餅ではない。使う米はモチ米ではなく、普段我々が食べている通常のうるち米なんだ。
 それというのも、元々きりたんぽはマタギや木樵の携帯食からはじまった。だから、作り方がおにぎりに似ているのも当然の話。なんせ一度山に入れば、時に何日も里におりないマタギたちだ。通常のお米を炊いて山に入ったのでは、ご飯が腐りやすくて塩梅が悪いと、ご飯を潰して木の棒にぬって焼いたのが”きりたんぽ”なんだ。
 おにぎりと同じく、水と塩で形を作ってから焼くので、日もちが効く。マタギや木樵たちは、きりたんぽを山鳥や野菜などを鍋で煮込み、力をつけていたってわけだな。
  きりたんぽ鍋レシピ
  たんぽを切って”きりたんぽ”
   さて「きりたんぽ」の名の由来だが、こいつには嘘か真か、こんなエピソードがある。
 江戸時代、しんしんと底冷えのするとある日。当時、南部藩※1の領地だった花輪町に、南部藩の藩主さまが直々にご巡視されるとの知らせが届いた。
 突然、藩主がやって来るとの知らせに、城代から町人に至るまで、小さな町は右往左往の大騒ぎだ。粗相があっては大変と頭を悩ましたのが、藩主さまに何をお出しすれば良いかということだ。
 江戸の当時は貧しかった花輪の町だ。内陸の町なので海の珍味など望めるはずもなし。米と野菜、そして山鳥など、精いっぱいかき集めた食材を前に料理番は、はて何をご馳走して差し上げれば良いかと思いあぐねた。
 その時ふと思いついたのが、山に住む木樵やマタギたちが食べる、お米を使ったあの携帯食料理だった
  きりたんぽなイラスト
  「こんな下司なものを藩主さまにお出しするのか?」
 と言う者もいたが、舌の肥えた藩主に下手なものをお出しよりは、勝手がわかっている郷土料理の方が都合良い。まして、こいつはマタギや木樵が山中にて何日も動きまわるための食事。藩主さまの旅の疲れを癒して差し上げるにはうってつけと、反対する者を説得してお出しすることにした。
 はたして藩主さまは事のほかお喜びになり、料理番にお褒めの言葉を与え尋ねてみた。
「これこれ、この食べ物は何と呼ぶ?」
 ところが料理番。支度に夢中になっていたため、名前までは考えていなかった。それでも小才のきいたこの男、思いつきでとっさにこう答えた。
「はは〜。”きりたんぽ”にございます。稽古用のたんぽ槍の先を切ったものに似ておりますゆえ、たんぽを切って、きりたんぽ・・・みなそのように呼んでおります」
 マタギや木樵にとって、稽古用のたんぽ槍が身近であるハズはないが、そこはお話。以来、花輪地方の名物となり、やがては秋田県名物にまで発展していったというわけさね。
 
   
※1

現在の岩手県中北部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。南部藩は通称で、正しくは盛岡藩である。

   
  秋田美人のあきたこまち
  写真 きりたんぽ鍋ってえのは、あきたこまちや比内地鶏を使うなど、秋田の名物をうまく使った郷土料理だ。別にほかの食材を使っても良いんだが、あきたこまちのモチモチした食感と、比内地鶏の力強い味わいがきりたんぽ鍋にピッタリくるんだな〜。
 ところで元々お米ってえのは、南方の植物だから東北地方の風土には合わなかったのだが、品種改良などを加え、それを克服したのは東北人独特の粘り強く勤勉な体質だった。
 ”秋田”という地名も「悪しき田」から来てるという説があるほど、その昔は不毛の地だったようだ。その証拠に明治末でも米の取れ高は、全国48都道府県中・42位という成績・・・それが今では日本有数の米どころってえんだから、秋田県人の粘りにはいやはや脱帽さね。
 もっとも秋田には、昔から潜在的に米作りに良い条件がそろっていた。
 秋田は西は日本海に面しており、対馬海流の恵みで緯度のわりには温暖だ。東は南北に連なる奥羽山脈が、ヤマセと呼ばれる冷害の原因になる東風をさえぎってくれる。それだけではない、さらに山越えしたヤマセはフェーン現象から、”宝風”と呼ばれる8〜10度も高い風に変わるんだ。
 また、秋田の盆地は昼夜の温度差が大きいとか、良質で豊富な水や土に恵まれているとか、挙げれば枚挙にいとまないほどの好条件がそろっていたんだな。
  写真
   そんな環境の中、昭和59年に誕生したのがあきたこまちだ。コシヒカリを母とし、奥羽292号を父とする、いわば血統書つきのブランド米だ。
 余談ながらあきたこまちの「小町」は、言わずと知れた秋田美人の代表、小野小町に由来するものだ。実際に小町が秋田県出身かどうかは定かでなく、福島県説や茨城県説などもあるようだが、イメージ的には秋田美人と符号するところが大きいようだな〜。
 さーて、時間が来やがった。
 それじゃお客さん、次回をお楽しみに!
   
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秋田産あきたこまち