| 掲載日:2005年9月28日 |
|
|||||||
| カレーは肉食解禁からはじまった! | |||||||
|
|||||||
| インドのベジタリアンと平安貴族は兄弟だった? | |||||||
殺生を禁ずるというのは、ブッダの時代からあったインドにあった教えだが――それは、もともと仏教の母体になったバラモン教※1に見られるものだ(もっとも、まともな宗教に殺生を奨励するものはないけどな)。インド人にベジタリアンが多いのも、殺生を禁じるという宗教的な理由によるものだ。 バラモン教がヒンドゥー教に変化した現在でも、それは同じことだし、枝分かれした仏教の兄弟分・ジャイナ教に至っては、畑仕事は鍬(すき)で虫を殺しちまうってんで、農業もできないというから、徹底してらあな。 日本人に比べ、比較にならないほど生活と宗教が密着しているインド人にとって、食の禁忌は厳格なものだ。ベジタリアンでなくとも、牛を神聖視するヒンドゥー教徒は、まずビーフを食べないし、豚を不浄と見なすイスラム教徒にとってポークはご法度だ。 当然、食べる肉も鶏か羊に限られるし、さらに厳格なベジタリアンは魚も卵も口にしない。インドで野菜カレーが充実しているのは、そのためなのさ(究極のインドカレーってえのはベジタブルカレーにあり、とあっしは思っている)。 ところが、一方で日本式カレーの場合、肉とカレーとは切っても切り離せない。 インドのベジタリアンと、平安貴族など昔の日本における肉食禁忌は、同じルーツにぶち当たるのに、ことカレーにおいて肉の扱いが正反対なのは面白い話だ。これはひとえに、宗教のに厳格なインド人と、宗教に淡白な日本人との違いが顕われたものと言えるだろう。 |
|||||||
|
|||||||
| やっぱり肉はリキがつくぜ! | |||||||
| さて、肉食の禁忌と言っても、日本人お得意の建前ってヤツで、昔の人も実はこっそりお肉を食べていた。特に鎌倉から江戸にかけての支配層は、自分たちだけ肉を食べ、庶民には禁じていたという話だ。 まあ、それもそのはず――やっぱり肉はリキがつくからね〜。 支配層にとっては、庶民に肉を食わせて力をつけられたら厄介ってえのが本音らしく――その証拠か、地獄に落ちるのを畏れて肉を食べなかった平安貴族が、やがて武士に政権をとられていったのは、食生活によるものが大きかったという説もある。また牛馬は軍用、交通用、農耕用と、当時の重要な動力だったことも、肉食禁忌の現実的な理由だったろう。 |
|||||||
![]() |
|||||||
| 平安以降、政権をとられてからは、貴族も薬猟と称して狩りを楽しんでいるし、江戸以降の大名や将軍でも、牛肉を好んで食べていた記録が数多く残っている。 近江牛ブランドは、もともと彦根井伊家が将軍家に献上するために飼育していた牛がはじまりと言われているし、あの水戸黄門こと徳川光圀公も、大の牛肉党だったことで知られている(黄門さまは、ラーメンを最初に食べただけじゃなかったんだな〜)。 また徳川慶喜公は大の豚肉党で、初めに嗣いだ一橋家の文字をとって「豚一」と揶揄されたこともあるくらいだ。やっぱり肉は旨いもんな。 陰でこっそり食べていたこともあってか、一旦、肉食が解禁になった途端、肉を食わぬ奴は遅れているとまで言われるようになった。この辺の変わり身の早さが、まさに日本人の真骨頂といえるだろうな〜。 |
|||||||
| 牛肉食わぬは開花不進奴(ひらけぬやつ)? | |||||||
| 肉を食わぬ奴は遅れている――そう最初に言ったのは、仮名垣魯文(かながきろぶん)という、この時代の戯作者・新聞記者だ。 この幕末から明治にかけて、一気に西洋化の波が押しよせてきた時代――巷では牛鍋屋が流行りはじめていた。牛鍋というのは、もちろん今のすき焼きの原型だ。 魯文は明治4年、この牛鍋店に集まる客たちが雑談しているありさまを、具体的に面白おかしくつづった滑稽本「牛店雑談 安愚楽鍋」(うしやぞうだん・あぐらなべ)というベストセラーを出している。 その中にある「牛肉食わねば開化不進奴」という記述が、当時の食生活に大きな影響を与えたらしい。この時代から新聞記者ってえのは、世論に火をつけるのがお得意だったようだが、魯文さんの思惑はまんまと当たり、牛鍋と共に肉食の習慣は、あっという間に世に広まっていったという寸法よ。 ちなみに当時、書生だった福沢諭吉も牛鍋を好んで食していた。大阪で牛肉が好まれるのは、この頃から始まったのかもしれないな。 |
|||||||
| カレーを食べて大きくなろう! | |||||||
仮名垣魯文は「西洋料理通」という別の著書で、肉入りカレーのレシピも記している。こいつは当時横浜にいたイギリス人が、メイドに料理を作らせるためのノートを基にしたもので、今見てもなかなか新鮮な感じがする。それは牛肉と鶏肉、長葱とリンゴ、そしてカレー粉に小麦粉を用い、仕上げに柚子を絞り込むというもので――同じ時期に作られたフロッグカレーがブイヤベースだとすると、魯文のビーフカレーは、フレンチ風洋食といった風合いのレシピになっている。 ところで、この時代に肉食を解禁して押し進めたのは、やはり明治政府の持つ富国強兵の考え方が根底にあったんだと思う。 周知のように、江戸時代の日本人は食生活のせいか、男性でも平均身長が155〜158cmそこそこと大変小さかった。それが黒船の来襲と共に、赤鬼みたいにでっかい異人さんたちの姿を見た時は、さぞ驚いたはずだ。 当時の日本よりずっと進んだ文明を持ち、体格面でもはるかに日本人を凌駕する西洋人を見て、こいつらが何を食べて大きくなったのか、当時の人たちは真剣に考えたはずだ。 なんせ、明治4年には、平安の古より肉食禁忌の元締めだった天皇家をかつぎ出し、宮中において肉食禁止令を解いているんだ。それは国を上げてのスローガンだと言っても過言ではないと思う。 同じ年に流行った「牛肉食わぬは開花不進奴」なんてコピーライトは、当時の国策として作られた――なんて考えるのは穿(うが)ち過ぎだろうけど、きっと世の風潮にそんな雰囲気があったんだろうよ。 |
|||||||
| アレンジ好きの日本人 | |||||||
| カレーが海軍の食事として、大いに重宝された話は前回も話したが、兵役を終えて帰郷した兵士たちが、船の上で覚えた味を地元に広めていった。 栄養満点で大勢の人数を賄える上、作り置きのできるカレーは軍隊だけでなく、農家の食事としても最適だったんだ。熊本では馬肉カレーなんてものがあるそうだし、福島ではホッキ貝のカレーなんてご当地カレーもあるそうだ。 テレビもラジオもなかった時代、カレーが全国区になっていったのは、そんな理由もあるのだろう。 |
|||||||
![]() |
|||||||
| 寿司でも天ぷらでもモトは外来の食べ物だが、およそ世界の中で日本人ほどアレンジ好きで、それに長けた国民もない。カレーはその代表格と言って良いだろう。なんせ明治以降の新参もののくせに、日本人の食卓でデカい顔をして鎮座ましましているんだからな〜。 アレンジされたカレーには、上野精養軒のカレー。中村屋のカレー。ヱスビーのカレー粉。給食のカレーシチュー。学食のカレー。カレー南蛮。カレーパン。カツカレー。市販のレトルトカレー&カレールー。福神漬け、ラッキョウなど、枚挙にいとまない種類のカレーや副産物が生まれていった。 さーて、時間がきやがった。こいつら日本でアレンジされたカレーについては、もう少し後の機会にお聞かせするして・・・次回はいよいよインドカレーとスパイスの秘密に迫ることにしよう。 それじゃ、お客さん。次回をお楽しみに! |
|||||||
|
|
| Presented by 食材仕入ドットコム All Rights Reserved. Copyright© 2006, Food's-Foo 推進機構All Rights Reserved. |