| 掲載日:2004年1月16日 |
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| サケとマスは似た者どうし | ||
| 今回は寿司の19回め。年を越してしまったが、せっかくだからキリのいい次回の20回まで寿司の特集をいたしやしょう。 もっとも、それで寿司の話が尽きるわけじゃねえ。とりあえずのお休みだ。 話のネタはまだまだ豊富にあるんだが、それとは別に聞かせてえ話がいっぱいあるって寸法さ。 それに医食同源はサカナに限定した話じゃねえ。肉や野菜はスイサンドンヤ・ドット・コムさんでもいっぱい扱ってるし、加工食品の品数も豊富だ。 また和食、洋食、中華、フレンチ、イタリアン、エスニックなど・・・食に関する話ってえのは、汲めども尽きない泉みたいなもんだ。 今回は寿司だけで話が長くなっちまったが、スイサンドンヤ・ドット・コムさんのお客さまは、さまざまな分野の人がいる。色々話をローテーションさせて、組んでいくのも良いかもしれねえな。
さて、今回はサケやマス、アユの寿司の話をいたしやしょう。 |
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| マスの呼び名は面倒ざマス | ||
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サケとマスの違いがめんどうなのは、呼び名によってもマスをサケと呼んだり、サケをマスと呼ぶことにある。 たとえば種類によってはベニザケのように、場合によってベニマスと言ったりする。さらにベニザケ(ベニマス)が陸封型になったものは、ヒメマスと呼んだりしてるのさ。 このヒメマスは、和井内貞行(わいない・さだゆき)が昔は魚がいなかった十和田湖に、その生涯を捧げて養殖に成功させたことでも知られたサカナだが、ベニザケが環境の変化によって生まれたサカナだってえのが、生き物の面白いところだよな。 ほかにも有名なところじゃ、カラフトマスをピンクサーモンと呼ぶケースもある。 ピンクサーモンという呼び名は一時期、サクラマスに用いられていたこともあるとかで、まったくもってややこしいもんさね。 ちなみに、このサクラマスはマスの中ではもっとも美味とされるもので、こいつが海に下らず、川の上流にとどまったものがヤマメなんだ。 関東より西において、サクラマスは海に戻らずヤマメになる傾向があり、東北や北海道などではメスの多くが海に降りてサクラマスになる傾向が強いようだ。 サクラマスとヤマメなんて、こいつら見かけは違っても、遺伝子の上では単に同じ種内の変異に過ぎないってんだから、世の衆生ってえのはおかしなもんさね。 |
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| 鱒ずしは郷土寿司の横綱でい! | ||
| このサクラマスを使った寿司が、かの有名な富山名産の「鱒ずし」だ。 郷土寿司というのは、人によって好みがわかれるものだが、マスずしくらい人気の高いものも少ないだろう。 シャリに使う越中米というのいうのは、富山平野の肥沃な大地と、立山連峰の雪解けの清烈な水に育まれたことで知られている。ほどよく粘りがあって、寿司米としてはひじょうに高いクオリティがあるのさ。 それに地元に流れる神通川に遡上するマスを用いたもののが「鱒ずし」ってワケさね。 鱒ずしは江戸中期は享保の時代に、吉村新八なる富山藩士が考案したと伝えられている。吉村新八は料理に精通していた男だったらしく、3代目藩主・前田利興(まえだとしおき)から「酢づけ役」に任命されたという。 当時の富山県・越中の国は、加賀は前田家の領地で、前田利興はその分家にあたるわけだ。 俗に加賀百万石と言うが、そのうち多くの米は越中富山でとれたものだったらしく、そのことも鱒ずしの誕生に関与してるんだろう。 利興は吉村新八が差し出した鮎ずし(最初は鱒ずしではなかったそうだ)が、いたくお気に召したそうで、それを8代将軍徳川吉宗・・・あの「暴れん坊将軍」に献上したことで有名になったそうだ。 それ以前の「鮎ずし」は,塩漬けしたアユを,飯と麹に漬け込んで発酵させた「熟れずし」だったんだが、新八の考案した「鮎ずし」は,酒につけたアユを寿司飯の上にのせたもので、今の「鱒ずし」に近いものだったそうだ。 やがて,マスを材料にした寿司が作られるようになり、これが富山名産「鱒ずし」になったと言うことだな。 今じゃ富山の中でも、数十軒もの「鱒ずし」の店が軒を並べる、ひとつの産業に発展したっていうことさ。 |
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| 鱒ずしのレシピを伝授いたしやす | ||
| まず、3枚におろしたマスから骨と皮をていねいに取り除き、短冊型に3mmほどの厚さに切る。 その切り身に塩を降り、2時間〜半日くらいねかせてから、合わせ酢で洗う。酢の塩かげんや、砂糖、調味料の味付けは店によってまちまちだ。 この時、酢に漬けるのではなく、心持ちはあくまで洗うという感じだ。漬けてしまうと、せっかくのサクラマス(店によってマスの種類は違うが、主流はこいつだ)の薄赤が白っぽくなってしまうからだ。 シャリはなるべく粘りのあるものが良いとされている。やや焦げるくらいに固めに炊いた米は、はじめから酢を加えて味付けする場合と、普通の寿司のようにあとから混ぜる場合と両方がある。酢の割合は米に対して1割弱が目安だそうだ。 つづいて直径18cm、深さ2cmほどの曲げわっぱの底に、青笹を放射状に敷く。 青笹は香りが良い上に殺菌作用があるんで、鱒ずしだけじゃなく、色々な寿司に応用されるんだ。直接、口にするものではないが、香りなどで味にも影響するため、笹選びや加工にも神経が使われる。 殺菌作用が高いのか、使われるものは一年中でもっとも葉の成長が早い、ゴールデンウーク頃か、夏の土用頃が良いとされている。 天日乾燥させた青笹は使用前に蒸気でもどし、冷水に1時間漬け込んだものを使うってえんだから、いやはや手のかかるもんさね。 その笹の上に薄く切ったマスの切り身を隙間なく並べ、冷ましたシャリを詰め込み、敷き詰めた笹を折り込んでフタをする。こうしてできあがった曲げ物を3〜4個積んで、上から15kgほどの重石をのせ、数時間で出来上がりさ。 |
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| サケの柿の葉寿司はいかが? | ||
| マスが鱒ずしで有名なのに対して、サケの寿司というのは、一般的にはそれほど見当たらない。 バッテラなどの関西の押し寿司に、ネタとして使われることはあるが、アナゴやサバのような主役級とはいえないだろう。 サケを主役に据えた寿司というと思い出されるのは、比較的最近人気のある「柿の葉寿司」だ。 もともとは奈良県は吉野の里、山間部で作られていた塩びきのサケを用いた寿司だったが、NHKの料理番組などに取り上げられたこともあったせいか、近頃では奈良の名産として駅弁などでも売られている。 柿の葉寿司の由来はハッキリしないが、今を去ること670年ほども前のこと。後醍醐天皇をはじめとする南朝の天子さまが、京都を追われて、奈良は吉野の里に都を開いた時だという。 当時、このあたりは熊野へ抜ける街道筋にあたり、熊野で水揚げされたサバを、塩サバにして、 夏のお祭りなどの時には寿司にして食べていた。その寿司を天子さまに献上する際、ひなびた村のこと、ロクな器がなかったので、仕方なく寿司を柿の葉にくるんでお出ししたというのが、由来なんだそうだ。 もともと、柿の葉寿司はサバで作られたそうだが、今ではサケとサバが主役にネタとして用いられており、干しエビや干しシイタケを戻して、シャリに混ぜたりするそうだ。 柿の葉を使うのは、鱒ずしを青笹で包むのと同じ理由で、植物の葉には香りづけと殺菌作用の意味があるんだろう。柿や青笹以外にも、草木の葉を使う寿司は、椿、朴(ほお)、柏、蓮、菊、芭蕉、蘭、イチジク、シソなどと日本全国にあるね。 谷崎潤一郎は著書「陰翳礼賛(いんえいらいさん)」の中で、サケの柿の葉寿司を記している。 谷崎先生は東京生まれのくせに、関西に移り住んだという上方好きだったせいか、寿司も江戸前より大阪寿司や柿の葉寿司が好きだったようで、「東京の握り寿司とは格別な味で、私などは此の方が口合ふ・・・」などと書いている。 アラマキ鮭に蓼酢を使ったレシピで、柿の葉とアラマキさえあれば何処でもできると書いてある。ただし、なるべく水気を避けるとのことだそうだ。 さてさて、これからあっしは北陸へ出張だ。向こうに着いたら、早速鱒ずしでいっぱいだな。米どころは酒も旨いと来てるんだから、こいつはたまんねーやな。 なに? ゲンさん、自分の行き場所に合わせて話をしたんだろうって? いいじゃねえか。 話ってえのは、何でも気分が乗った時にするのが、一番だよ。てなワケで今月終わりか来月はじめには、あっしの初めての著書「さかな通」が、まどか出版さんから発売される。本作りってえのも、魚屋とは違った面白さがあるもんだ。出る時にゃ、また大騒ぎするから、何卒読んでおくんなせえ。 それじゃあ、お客さん。次回をお楽しみに! |
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