| 掲載日:2003年10月01日 |
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| 真打ちマグロをお気楽に | ||
さて、今回の医食同源・寿司の話だが、前回はカツオの話をしたから、今回は「カツオとくればマグロ」ってなもんで…お気楽にマグロの話を聞いておくん
な。 |
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| 肥料にされた江戸のマグロ | ||
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それじゃ、何でマグロは寿司にとって真打ちにあたるんだろう? それはその貴重さはもちろんのこと、やはりマグロというサカナは寿司ネタになることによって、最大の旨味を発揮するからだろう。 お客さんの中にもマグロのブランドイメージは定着していて、寿司をよく知る人も知らない人にも、「お、マグロか」と言わしめる存在なわけだ。寿司屋の 命運はマグロによって左右されていると言ってもよいだろう。 ところが、そんな貴重なマグロも明治時代くらいまでは、冷凍技術が発達していなかったために下魚とされて、たいして有り難られなかったのは以前にもお 話した通りだ。 江戸後期の文政頃(1825年頃)の医師、曳尾庵南竹(ひきおあんなんちく)は、その随筆の中でマグロの大漁をこう記している。(ちょっくら読みにくいので、ライターの方に翻訳してもらいやした)。 頭などは往来に捨ておくが、山のごとく積み上がり、そのおびただしさと臭いには、犬も恐ろしがって近寄らぬありさま。 日増(ひまし)のマグロは猛毒とも言われ、下々の人間でも口にしない者も多く、日本橋魚河岸にても、あまりの大漁はことのほか迷惑とのこと」 これを読むと、採れ過ぎたマグロさんは、本当に肥料にするしかなかったんだろう。まったくもったいない話だが、保存方法がなかった昔は仕方なかったん だな。 ただこの記事を読む限り、マグロが下魚とはされながらも庶民の口に入っていたことは間違いないようだ。「日増のマグロには毒がある」というのは、カツオの毒と同様、昔は腐りかけたマグロで食中毒にあった人がいるということだが、それは逆の意味でかえせ ば、けっこう食べる人がいたということだ。食べる人間がいなきゃ、いくらなんでも山積みになるほど採りゃしないしな。 サンマやイワシ、サバやコハダが下魚といわれながら食べられていたように、マグロも同様で、落語の熊さん八っつあんの酒の肴として食されていたのかも しれない。 |
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| マグロの握りは「天保の改革」が生んだ? | ||
| マグロの握り寿司が登場したのは江戸後期、老中・水野忠邦、鳥居耀蔵らによる「天保の改革」がはじまった頃だと言われている。 ご存じの通り、天保の改革というのは徹底した倹約令だ。 ぜいたくを禁止し、物価値下げを断行するという…今で言えばデフレを推奨する、とんでもない改革政治だったもんで、結果的には失敗に終わったことで知 られている。 経済的には失政だった天保の改革だが、それがマグロの握りを生み出した一因になったと、あっしは個人的に思っている。 なぜかって? そりゃあ、当時マグロは下魚だったからさ。 この時代、マグロの大漁が何度かあったらしく、魚河岸をはじめ、江戸中にマグロが溢れかえったそうだ。高級魚のタイやヒラメを食べたりすれば、「ぜいたくはまかりならん!」と、お上の目のうるさいところだが、下司ザカナのマグロなら、いくら食べても文句言われなかったってワケさ。 それをビジネスチャンスにした店が、日本橋は馬喰町(ばくろちょう)にあった恵比須ずしというお寿司屋だったんだな。この店がはじめてマグロを寿司ネ タとして扱った…それが寿司屋仲間では通説になっている。 「天保の改革」に加え、マグロのランクが当時は低かったこと…マグロの握りが登場するには、そんな時代背景があったと、あっしは勝手に考えている。 |
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| 與兵衛ずしにマグロはなかった | ||
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江戸前寿司は花屋與兵衛(はなやよへい)によって、江戸の町で大ブレイクしたのは以前にもお話しした通りだが、どうやらマグロの握りに関しては、「與
兵衛ずし」も後発部隊だったみたいだ。(以前、お話した『医食同源/マグロ大好き!』だと、與兵衛ずしがマグロの握りをはじめたように誤解される言い方をしてたけど、実際は少し違う。いやはや、お客さんがた。どうも、まっぴらご免なすって…)。 |
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| マグロを食べるならヅケをどうぞ! | ||
| 今の寿司ネタというのは、刺身にして食べるような生を用いるのが主流だが、何度も言うように、もともと寿司というのは、下ごしらえに手間をかけて握る
のが本来の姿だとあっしは思っている。 |
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| ヅケのレシピは店によってまちまち | ||
ヅケの下ごしらえはシンプルだ。 |
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