| 掲載日:2003年01月30日 |
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| 江戸前寿司、生みの親は花屋與兵衛? | ||
| さーて、ご好評をいただいている寿司の話もこれで4回目。今まで寿司の歴史の話をしてきたが、今回でようやく江戸前寿司のお目見えだ! 江戸前寿司の登場がハッキリといつかは断定できないが、どうやら江戸後期は文化・文政の時代(1817年頃)に登場したらしい。生みの親は花屋與兵衛(はなやよへい)なる人物だといわれてる。ファミレスチェーンの屋号にもなってるから、聞いたことはあるかもしれねえな。 何? あれは「華屋与兵衛」だろうって? ううむ。こいつはどちらが正しいかはハッキリしねえんだ…ただ、店鋪の名前にするには華屋与兵衛と書いた方が旨そうに感じるからじゃねえかな? (以前、マグロの回では「華屋与兵衛」と書いたんだが、色々資料を調べた結果から、今回は花屋與兵衛と表記することにするよ。どうぞ勘弁しておくんなせえ)。 ただ、この花屋與兵衛が握りずし発案者説というのが、今では一般的になっているが、実際のところはハッキリしない。 こいつはウナギで言う「土用丑の日」のコピーライトの考案者が、平賀源内か山東京伝かみたいなモンで、今となっちゃ知る人もなしってことさね。 深川の「松が鮓」店主・堺屋松五郎なる人物が、実際の考案者だという説があるし、会津天満宮の神主が、江戸に出てきて握りずしを発明したなんて珍説もある。残念ながら、これらを確定できる資料は現在残されていない。 ただ、花屋與兵衛が江戸前寿司を爆発的に普及させた人物であることは、どうやら間違いないようだがね。 |
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| 大ブレイクしたお江戸のファストフード | ||
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「鯛ひらめ いつも風味は與兵衛鮓 買い手は見世にまって折詰」 「こみあひて 待ちくたびれたし與兵衛鮓 客ももろ手を握りたりけり」 こいつらはこの時代、花屋與兵衛の人気を詠んだ狂歌さ。 一説によると花屋與兵衛は、福井藩は下級武士の倅だったという。9歳の時に蔵前にあった札差(旗本、御家人の年貢取り立て代行業者。金貸しも兼ねていた)に丁稚奉公したあと、二十歳過ぎに独立し、古道具屋や干し菓子屋など商売を次々に変えたのち、江戸前寿司を考案したと伝えられている。きっと器用で気のきいた男だったんだろうな。 当時、江戸で人気のあった寿司は、前回お話したような箱ずし…いわば今の大阪寿司のような押しずしだったという。 しかし、パッと来てパッと食べられる、いわばファストフードの元祖ともいえる握りずしは、気の短い江戸っ子にたちまち人気となり、江戸中の寿司屋のほとんどが「握り」に移り変わったって話だ。 へへ。まあ日本人の変わり身の早さは、今にはじまったことじゃないってコトさね。 江戸時代の寿司が屋台で商売をしていたというのは有名な話だ。だが、寿司屋が屋台で商売してたってえのは江戸前寿司が流行する以前からのこと。 花屋與兵衛さんは、はじめは両国界隈…今の国技館のあたりで屋台を広げて商売をしていたようだ。そのうち小金が貯まってきたってんで、両国回向院前に小さな店を持った。 この店「與兵衛ずし」が当たりに当たったそうなんだ。江戸の町人ばかりじゃなく、武家屋敷からも注文が相次ぎ、江戸前といえば「與兵衛ずし」と呼ばれるまでになった…それが、花屋與兵衛が江戸前寿司の父と呼ばれるようになった由縁だろうな。 |
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| 江戸前寿司は屋台と内店に二極分化 | ||
「與兵衛ずし」は昭和のはじめくらいまで、両国の同じ場所で営業をしていたそうだ。 |
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| お江戸のお寿司はお握りサイズ? | ||
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とはいえ当然、高級内店と屋台では手のかけ方も違った。 |
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| 寿司の極意は「握り」にあり! | ||
| 明治30年くらいになると氷冷蔵庫なるものが出現し、この頃から寿司はいっそうナマものが喜ばれるようになっていった。 さて、ようやく4回めにして江戸前寿司のお目見えだが、次回は寿司ネタについて聞かせたおしてあげやしょう。 |
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