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水産物 医食同源
食いねぇ、食いねぇ、寿司食いねぇ! (寿司その二、今昔物語編)
掲載日:2003年01月15日

 
まいど、まいど、イダテンのゲンさんです!
 いやあ、これでみなさんとスイサンドンヤ・ドット・コムさんとの正月を迎えるのは3回目になるのかな?
「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」なんてこと言いやがるが、まったく 毎年毎年おんなじように正月を迎えるけど、同じ年ってえのはありゃしねえ。
 まったく、この世の中も川の流れみてえなモンだ。
 鴨長明の《方丈記》は、「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。世の中にある人と住家すみかと、またかくの如し」と続くんだが、この本は地震とか飢饉みてえな天変地異を記した本でな。
 それに比べたら、今の不況なんてえのは大したこたーねえやな。なんせ、たいていの人間はおまんまが食えて住むトコがあるんだからよ。
 なに? ゲンさん、みかけによらず学があるじゃないかって?
 へへ、当たりめえよ!って言いてえトコだが、こいつはこないだ一緒に寿司を食った大学の先生の受け売りだ。
 まあ今年も、世間さまの景気は期待薄かもしれねえけど、こちとら、そうは問屋が卸さねえ!
 見ててくれよ! 今年は今まで以上に実績と数字を伸ばして、お客さまのみなさんに、ますます美味しいモンをタップリご提供いたしやすぜ!
   握った瞬間から寿司の熟成がはじまる
   さーて、今回は寿司の話の3回目だ。
 なんてったって、寿司くらい面白い展開をしている食い物もねえだろう。2000年以上もの歴史を持ちながら、実際に今の江戸前寿司になったのは、ここ160〜200年からくらいのもの。
 それが今でも進化しつづけるどころか、国際食として世界中に進出しているというのは、前回まで話した通りだ。伝統にアグラをかいてしまったものは衰退の一途をたどる運命にあるが、寿司がそうじゃねえのは見ての通りだ。
 しかし、あっしは思うんだが…やはり歴史や伝統ってえモンを忘れてはいけないと思うんだな。寿司の場合、忘れてほしくないのは、もともとが醗酵食品からスタートしているってコトだ。
 たとえば、寿司はなぜ「握る」のか?
 シャリの「握り具合」(締め方)に寿司屋がなぜ、あれほど真剣になるのか?
 シャリの上にネタをのせただけの単純なレシピなのに、なぜ長年の厳しい修業が必要な技術が必要なのか?
 これらは食感だけの問題じゃねえ。今日でも、寿司とは握った瞬間から微妙な熟成をはじめる醗酵食品なんだってことを覚えといてほしい。これは、お握りなんかでも同じことが言えるんだが、「握り」を忘れて寿司を語ることはできないんだよ。
   「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」

 

 この俳句は、寿司好きだったという与謝蕪村が、琵琶湖にちなんで詠んだ句だ。彦根や近江といえば鮒ずしを思い出すほど、一般的だったんだろう。
 秀吉が陣中見舞いに鮒ずしを用いた話は前回もしたが、同じ時代、明智光秀が信長の大切な客人に鮒ずしでもてなしたしたというエピソードもある。
 ところが尾張出身の信長は鮒ずしを知らなかったのか、「おみゃあ、このキンカン頭! こんな腐ったものを、よくもワシの客人に!」といつもの調子で激怒したそうなんだ。
 光秀は積年のウップンもあったんだろう。堪忍袋の緒がキレて、そいつが本能寺の変のきっかけになった……そんな話が琵琶湖地方では最近まで定説だったそうさね。
 インテリだった光秀が鮒ずしが原因でキレたかどうかは疑問だが、それくらい鮒ずしというのは、話のネタになるものだったんだな。
 しかし、何も鮒ずしのような熟れずしは近江の国だけに限ったモンじゃなく、全国どこにでもあった。それが、琵琶湖周辺で特に発達し、今でも続いているのはそれなりの理由があった。
 つまり鮒ずしの材料のフナと塩とお米、そして水は、近江の連中にとって特別に用意しなくても、すぐそこにあるものだったんだな。
 フナは産卵時には沖合いから沿岸の湿地帯にやってくる。その湿地は水田だったりするから、米もフナも一緒に獲れたって寸法さ。
 また塩の道が近江を通っていたから、塩の入手も簡単だった。(若狭…つまり京都北部から、京の都へと塩を運ぶ道は鯖街道とも呼ばれ、ついでに鯖ずしも生み出している)。
 発酵を促す乳酸菌も、昔から「タネが桶につく」ともいわれ、藁や桶から自然にふなずしについたってわけだな。
 近江の人にとって、ふなずしの材料はどれも身近なものだったのさ。
 ただなあ…最近じゃあ、琵琶湖の水質が悪くなったとか、ブラックバスとかブル−ギルとかいった外来種が繁殖して、めっきりフナの漁獲量が減少しやがった。おかげで鮒ずしの値段は上がる一方で、いまや高嶺の花になっちまった。
   ドジョウずしも、どうじょ!
 

 近江地方には鮒ずし以外にも、ドジョウずしをはじめ、ナマズずし、モロコずし、コブナずし、ウグイずし、ジャコずし、サバずしなんて熟れずしが、今でも残っている。
 こいつらは、鮒ずしに比べると一般的とはいえないが、今でも琵琶湖周辺の神社では、神饌や直会膳として、こういった熟れずしが見られるんだ。 熟れずしに必要な塩やお米、水ってえのは神事のお清めに使われるモンだから、何かしら琵琶湖の神さまに捧げるような信仰があるのかもしれねえな?
 このあたりの神社にはすし切り祭りと呼ばれる神事が5月に行われる。下新川(しもにいかわ)神社で行われる「近江のケンケト祭」が有名で、鮒ずし10匹を神饌として供する神事「鮨返しの儀」は、無形民俗文化財に指定されているそうだ。
 まあ、琵琶湖周辺の熟れずしといえば、やっぱり昔から名物として名高い鮒ずしがダントツに多いんだが、ドジョウずしの存在ってえのちょっと面白い。こいつは鮒ずしより、さらに古い時代の寿司を今に伝えるものだ、なんてことが言われている。
 三輪神社という古い神社では、ドジョウとナマズを使った 「ドジョウずし」が今でも作り続けられているらしい。
 ナマズはわたを取って血を洗い落とすんだが、ドジョウは生きてる状態で器に入れてから塩をぶっかけ、半殺しの状態にする。(人間ってえのは、何ともひでーことをしやがるよな)。
 仕込みは米の収穫がある9月末だ。ふっくら炊き上げた新米と塩、そして陰干しした蓼の葉を細かく揉んで混ぜ合わせ、そいつとナマズの切り身と生きたままのドジョウを交互に敷き詰めるんだ。
 基本的に鮒ずしと同じだが、違うのはアユのツケだれにも使われるタデを使うことで、これは香草や香辛料を鮓に用いる古代中国のレシピに共通するというワケだ。

   「今昔物語」の鮓はどんな味?

 

 食べ物というのは一過性のもの。食っちまえば、それが残ることはない。
 そんなワケで食べ物の歴史というのは、たいへんわかりにくいもので、僅かな資料からそれを推測するしかない。
 昔の熟れずしがどんな味だったのかはわからないが、相当にクセの強いものだったのは想像に難くない。「今昔物語」にはアユ鮓売りの女が酔っぱらって、鮓桶の中に『オエエッ』っと戻してしまう話があるそうだ。(汚い話でゴメンよ)。
 作者は言う。その後、女とアユ鮓がどうなったか知らぬが、どうせ同じようなものだから買った 人は喜んで食べたに違いなかろう……ってな。それが話のオチになってるんだから、まあ、当時の熟れずしがどんなモンか推して知るべしだな。多分、この話を書いたヤツ(作者、編者共不詳)は、当時のアユ鮓がニガ手だったんだろうがな。

   すしの変貌
 

 さて、日本人の食生活が大きく変わったのは室町時代後期だと言われている。
 まず、米の生産量が飛躍的に上がり、1日2食だったのが3食になった。戦国時代てえのは、ちゃんとおまんまが食えるようになったからこそ、戦を続けられたって話もあるくらいだ 。
 米の生産量が増えたから、酒を造る余裕もできた。また、それまでは米は蒸して食べていたのが、この頃からご飯を炊いて食べるようになったんだ。
 すしが変貌と遂げたのも、この頃じゃないかと言われている。
 当時の熟れずしは、鮒ずしやドジョウずしのように半年とか1年間醗酵させていたのが普通だったのに、だんだん漬け込み時間が短縮されていった。これを生成(ナマナレ)と呼んだ。
 また、捨ててしまっていたご飯の部分も食べるようになっていった。
 すしのご飯ブブンはグンと増え、飯(いい)ずしと呼ばれる、サカナのおなかに飯をいっぱい詰め込んだすしが登場するようになる。
 こうなるともう、今の押し寿司と同じだな。関西で今でも盛んな、サバやサンマの棒ずしや小鯛の雀ずし、鮎ずしのようなものだと思えば間違いないだろう。
 こうした飯ずしには、主にフナや干物、やがては漬け物などの野菜類が使われるようになっていったそうだよ。
 ちなみに「今昔物語」の頃(12世紀前半、平安時代後期)には、下司な食べ物とされていたアユ鮓も鎌倉から室町時代に至る頃には、将軍家が召し上がるご馳走に出世した。
 アユは上流階級に好まれたやんごとないサカナだったんだな。
 献上する道程の中で、およそ10日くらいを見込んで漬け込んで熟成させ、ちょうど到着する頃に食べごろになるよう運んでいったんだろうな。

   柿(コケラ)ずし、箱ずし
 

 飯ずしはやがてコケラずし、箱ずしへと進化する。
 柿ずしと書くけど、奈良の駅弁にある柿の葉寿司じゃあねえよ。(あれもサバやサケを柿の葉でくるんだ押し寿司で、なかなか美味しいモンだけどな)。
 コケラというのは屋根に使う薄い木片のことで、その木片で葺いた屋根を柿葺きというんだ。(また、木材を削った木屑のこと。柿落としとは、そこから来ている)。
 すしネタがそんなカンジで、箱の中に薄く平らに敷き詰められ、それを上から押したものがコケラずしだ。
 やがて飯を箱に詰めて、その上に具を置いて押す箱ずし…大阪のバッテラみたいな寿司が登場する。
 もうここまで来ると、江戸前の寿司の登場もあと一歩だ。
 そんなワケだが、続きの話はだいぶ長くなる。箱ずしの話の続きと江戸前寿司の登場については、次の回にいたしやしょう。
 おおお、だいぶ寒くなってきやがった。それじゃ、あっしはこの辺で、熱燗と寿司でもいただきに銀座あたりへとクリ出すことにするかな。 なんせ、寿司ってえのは元気のモトだからなあ!
 それじゃあ、また次回お会いいたしやしょう。

   
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