| 掲載日:2003年01月15日 |
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| 握った瞬間から寿司の熟成がはじまる | ||
| さーて、今回は寿司の話の3回目だ。 なんてったって、寿司くらい面白い展開をしている食い物もねえだろう。2000年以上もの歴史を持ちながら、実際に今の江戸前寿司になったのは、ここ160〜200年からくらいのもの。 それが今でも進化しつづけるどころか、国際食として世界中に進出しているというのは、前回まで話した通りだ。伝統にアグラをかいてしまったものは衰退の一途をたどる運命にあるが、寿司がそうじゃねえのは見ての通りだ。 しかし、あっしは思うんだが…やはり歴史や伝統ってえモンを忘れてはいけないと思うんだな。寿司の場合、忘れてほしくないのは、もともとが醗酵食品からスタートしているってコトだ。 たとえば、寿司はなぜ「握る」のか? シャリの「握り具合」(締め方)に寿司屋がなぜ、あれほど真剣になるのか? シャリの上にネタをのせただけの単純なレシピなのに、なぜ長年の厳しい修業が必要な技術が必要なのか? これらは食感だけの問題じゃねえ。今日でも、寿司とは握った瞬間から微妙な熟成をはじめる醗酵食品なんだってことを覚えといてほしい。これは、お握りなんかでも同じことが言えるんだが、「握り」を忘れて寿司を語ることはできないんだよ。 |
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| 「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」 | ||
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この俳句は、寿司好きだったという与謝蕪村が、琵琶湖にちなんで詠んだ句だ。彦根や近江といえば鮒ずしを思い出すほど、一般的だったんだろう。 秀吉が陣中見舞いに鮒ずしを用いた話は前回もしたが、同じ時代、明智光秀が信長の大切な客人に鮒ずしでもてなしたしたというエピソードもある。 ところが尾張出身の信長は鮒ずしを知らなかったのか、「おみゃあ、このキンカン頭! こんな腐ったものを、よくもワシの客人に!」といつもの調子で激怒したそうなんだ。 光秀は積年のウップンもあったんだろう。堪忍袋の緒がキレて、そいつが本能寺の変のきっかけになった……そんな話が琵琶湖地方では最近まで定説だったそうさね。 インテリだった光秀が鮒ずしが原因でキレたかどうかは疑問だが、それくらい鮒ずしというのは、話のネタになるものだったんだな。 しかし、何も鮒ずしのような熟れずしは近江の国だけに限ったモンじゃなく、全国どこにでもあった。それが、琵琶湖周辺で特に発達し、今でも続いているのはそれなりの理由があった。 つまり鮒ずしの材料のフナと塩とお米、そして水は、近江の連中にとって特別に用意しなくても、すぐそこにあるものだったんだな。 フナは産卵時には沖合いから沿岸の湿地帯にやってくる。その湿地は水田だったりするから、米もフナも一緒に獲れたって寸法さ。 また塩の道が近江を通っていたから、塩の入手も簡単だった。(若狭…つまり京都北部から、京の都へと塩を運ぶ道は鯖街道とも呼ばれ、ついでに鯖ずしも生み出している)。 発酵を促す乳酸菌も、昔から「タネが桶につく」ともいわれ、藁や桶から自然にふなずしについたってわけだな。 近江の人にとって、ふなずしの材料はどれも身近なものだったのさ。 ただなあ…最近じゃあ、琵琶湖の水質が悪くなったとか、ブラックバスとかブル−ギルとかいった外来種が繁殖して、めっきりフナの漁獲量が減少しやがった。おかげで鮒ずしの値段は上がる一方で、いまや高嶺の花になっちまった。 |
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| ドジョウずしも、どうじょ! | ||
近江地方には鮒ずし以外にも、ドジョウずしをはじめ、ナマズずし、モロコずし、コブナずし、ウグイずし、ジャコずし、サバずしなんて熟れずしが、今でも残っている。 |
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| 「今昔物語」の鮓はどんな味? | ||
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食べ物というのは一過性のもの。食っちまえば、それが残ることはない。 |
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| すしの変貌 | ||
| さて、日本人の食生活が大きく変わったのは室町時代後期だと言われている。 |
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| 柿(コケラ)ずし、箱ずし | ||
| 飯ずしはやがてコケラずし、箱ずしへと進化する。 |
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